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ちと、古いですが。

ずいぶん前(6月頃?)に書いていたんですが、アップし忘れていた書評です。

●ついに完結
ギャラリーフェイク (32)
細野 不二彦

小学館
4091873928


細野不二彦のギャラリーフェイクがついに完結してしまいました。
アニメ化されてんのにそのタイミングで終了というのはなんというか、漢を感じますな。
細野不二彦は今他に「ヤミの乱破」と「ダブル・フェイス」を描いていて、こっちも追いかけてますがおもしろいです。

さて、ギャラリーフェイクの最終巻ですが。
今回はほとんどがフジタが長い間追い求めていたダ・ヴィンチのモナリザ・別バージョン問題のお話でした。
このお話、ふたつの話が複合している大長編ですが、とてもよくできていました。エンターテイメントとしては大満足でした。

しかしフジタ、あんたこれ日本に戻ってこれないのでは、というような事件を引き起こしてるんですが。この後どうしたんだろう、と非常に気になるところですw


さて、最終回ということで総論を。
第一回より始まった、サラとフジタの関係、これはどうなるのだろうか、とずっと見てました。
しかし、フジタはサラを必要としているということは何度か認めていますが、結局最終回においても大切だ、ということにとどまり、サラの求めているような女性としての扱い、はっきり言えば恋人として扱うことはついにありませんでした。

なんだか、私のようなせっかちな人間にとってははっきりしろ!と思ってしまいます。(同様の理由で高橋留美子作品にはイライラさせられるのですが)そも、別にフジタは女嫌いというわけではなく、三田村館長やその他いろいろ現れる女性ゲストにぽーっとしたり、実際性交渉を持ってるシーンが出てきたりしています。
そういう意味ではごくふつうの俗人であるフジタが、なぜサラを恋人と扱うことを拒むのか?

まあ考えるまでもなく、要するにサラに対してある種の恐れを抱いているのでしょう。
というのも、何度かサラをあたかも「美の女神」のように感じているかのような描写がありますし。
また、フジタはサラのことをよく「子供」といいますが、そのことからすると神そのものではなく、美の神の巫女のように感じているという解釈もありですね。
巫女というのは古代日本では年若い年少の者がやる者だったのですから。
そのように考えると、子供といって性的対象から遠ざけるのは、サラに巫女のような神聖なイメージをかぶせている、という解釈も成り立ちますな。

しかし…考えては見たものの、あまりおもしろい結論ではないですね。
普通に読み取ったらそうなるだろ、と言うような感じでw


ギャラリーフェイク、エンターテイメントとしてホントにおもしろかったです。
細野先生、お疲れ様でした。



| Copyright 2005,09,21, Wednesday 09:10am 瀧義郎 | comments (0) | trackback (0) |

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