「はぁー……」
雪歩は思わず、気の抜けたようなため息をついた。
はじめてみる芸能事務所は、意外と普通だった。むしろ、一見するとマンションのようにも見えなくはない。
煉瓦造りの三階建てほどの建物で、入り口の門の脇に『(株)765プロダクション』という看板が掛かっている。

「ここであってる……んだよね」

雪歩はひろちゃんに渡された資料を鞄から取り出した。
資料の入ったA4の封筒には、看板と同じロゴがある。雪歩は小さく頷いた。

もう一度建物をみると、足がかたかたと小刻みに震えはじめた。
震えを抑えるかのように、ぐっと書類を握りしめる。

――やっぱり、怖い。

雪歩は、まだ迷いが抜けきってないことを自覚する。
犬に吠えられた勢いでやるといったものの、今日まで何度も決意がぐらついた。

本当にやっていけるのか。そもそもアイドルってどういう仕事をするのか。
犬よりマシとはいえ、男性が苦手な自分でも、やっていけるようなものなのか。

『――はっ! だめだめっ』

ネガティブな気分が充満しつつある。雪歩はぶんぶんと頭を振った。
ぐっと胸を張る。形だけでも飲んでかからないとっ。

「た、たのもーっ」

こないだテレビで見た、道場破りのマネをして門をくぐってみた。
うん、なんか、元気が出たかもしれない。

スモークグラスの自動ドアが開いたら、すぐ正面に簡素な受付ブースがあった。
ブースの中に、ライトグリーン基調の事務服をきた女性が座っている。
雪歩よりやや短いくらいの髪で、耳元にインカムが見えていた。

彼女は、雪歩をみてにっこりと笑った。
「こんにちは! オーディションを受けに来た方ですか?」
「あ……は、はいっ」
「エントリーシートを出してください」
「えんとりーしーと?」
「送付書類に入っていませんでしたか?」
「あ、はいっ」
慌てて封筒を探る。昨晩書いたアレだ。
封筒をごそごそと探ったが、なかなか出てこない。
「あ、あれ、おかしいな……」

受付の人は小首をかしげている。もしかしたら、疑われてるのかもしれない。
そう思うと、ますます焦ってしまう。ともかく書類を出そうと、封筒を逆さにした。
「あ!」
出てきた書類を取り損ねて、全部の書類が床に大きく散らばってしまった。
「あらあら」
「あああ、すみませ、すみませんっ」
しゃがみ込んで、慌てて集めてると、受付の人がブースから出てきて手伝ってくれた。

もう、恥ずかしくて、穴があったら入ってしまいたい。

急いで書類をかき集めていると、その中に、小さな名刺大のカードがあることに気が付いた
「……?」
拾い上げて裏を見ると、『がんばれ、雪歩!』という字が目に飛び込んできた。
ひろちゃんの字だ。
「あ……」
「はい、これ」
受付の人が書類を渡してくれた。「お友達?」と言って、にこりと笑う。
嬉しくて、胸がいっぱいになった。
「……はい。応募してくれた、友達なんです」
「そっかー。じゃあ、お友達のためにも、がんばらないと!」
「はいっ!」
「じゃあ、エントリーシートを」
エントリーシートを取り出し、受付の人に渡すと、12と番号の書かれた小さな紙を渡してくれた。
「これがあなたの呼び出し番号です。
 こちらのエレベーターから、三階にあがって正面の部屋がオーディション参加者の待機場所です。
 がんばってね!」
「あ、ありがとうございますっ」
頭を下げて、エレベーターに乗った。

雪歩はエレベーターの中、左手でそっと胸を押さえる。
どきどきと高鳴っているのがはっきりわかった。不安もあるし、もちろん緊張もしている。

でも、今。右手にある友人のメッセージカードは、それを上回る力を雪歩に与えてくれていた。
『ひろちゃん……! わたし、がんばる……っ』
雪歩はそれを大切に、上着のポケットへしまい込んだ。




エレベーターを降りると正面に、『オーディション受験者控え室』という張り紙があった。
この部屋がさっきの事務の人が言っていた待機場所らしい。

そっとドアを開けると、すでに十四、五人の女の子がいた。
「あ、あの……こんにちは……」
一応、挨拶をしてみたが、誰も雪歩を見ようともしない。

いや、ちらりと視線を投げてきた娘はいたが、敵意のこもった目を一瞬みせ、すぐに視線を外した。

『え、どう……して? ……あっ』

そうか、と雪歩は思い当たった。
オーディションは単なる面接などではなく、この中で誰かがアイドル候補生として選ばれる、と言うことなのだ。
応募書類には、合格者の人数は「数名」とだけ書かれていた。
別の言い方をすれば、ここにいる人間はみなライバルで、蹴落とすべき敵なのだ。

気付いてみると、部屋は、ぴりぴりと音が聞こえそうなほどの緊張感で満たされていた。
みんなそれぞれ、なにかの紙を見ながらブツブツ言っていたり、部屋の壁面に張られた大きな姿見で身だしなみを整えたりしている。

当然可愛い娘ばかりで、明らかに自分は見劣りしている気がした。

『で、でも……私、がんばらないと……』

ともかく、落ち着こう。幸い、水筒にとっておきの玉露を淹れてきた。
部屋を見回してみると、隅の方にだれも座っていない椅子があった。
『あ、あそこで……』
と、足を出した瞬間、突然何かが引っかかった。
「あうーっ!!」
盛大にすっころんだ。部屋中に響くような音がした。
したたかに顔を打ち付けて、ひりひりしている鼻をこすりながら起き上がる。
足下を見ると、誰かの鞄のヒモに引っかかっていた。
「ちょっと、それ、あたしのカバン!」
駆け寄ってきたその女の子はその鞄を拾い上げ、雪歩をギッと睨んだ。
「ご、ごめんなさいぃ」
「気をつけてよね! もう!」
その娘はひったくるように鞄を取り上げた。

気が付くと、部屋中の注目を浴びていた。
周りからくすくす、という嘲笑が聞こえる。

『うぅ……やっぱり、私なんかが来ちゃダメだったのかも……』

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