――こんなダメな自分に、そんな価値があるのか。
――でも、いくばくかの価値を認めてくれる人が、もし、いるとしたら……?
――けれど……アイドルという職業を、自分のものとして考えたことはこれまで一度もない。
――いや、だれでも……はじめはそうだと、思う。
――そんなことを言っても……だから自分ができるということには……。
――けど、今まで漠然としていた「変わりたい」が、具体的に実現できる……かも、しれないのに。

雪歩の中で相反する思いが激しくぶつかりあっていた
文字通り瞬間ごとで「やってみよう」と「やめよう」が入れ替わる。

「じゃね、雪歩、また明日ねー」
誰かに声をかけられて、ほおづえをついていた雪歩は顔を上げた。
「あ……」

ひろちゃんだ。
すでに、放課後になっていた。
クラスメイトは、三々五々散り始めている。

「?」
「う、ううん。なんでもない」
ひろちゃんはニコリと笑って小さく手を振り、教室から出て行った。



今日は一日、ひろちゃんの言葉を考えていた。
朝からこれまで何をしていたか、思い出しにくいほどだった。

ふぅ、と深いため息を吐いて、机の脇に下げている鞄を取り上げる。
机の中に入れてあった教科書やノートを鞄に入れた。
とんとんとまとめながら、今日の授業は、ほとんどノートも取っていないことを思い出した。

『ダメだな……ちゃんと、うちに帰ったら復習しなきゃ……』

放課後の教室で嬌声を上げるクラスメイトをあとにする。
ほとんど自動的に靴箱で靴を履き替え、校舎を出た。

雪歩の全身を重い塊が包み込んでいた。

ひろちゃんの申し出に返事をしなければ、いずれ二次オーディションの日は過ぎるだろう。
そうなったところで、それは結局、これまでの自分の日常を続けると言うことだ。

誰しも、そうやって日々を過ごしている。

なにも、咎められるようなことじゃない。

がっちゃーん!!

「ひぅ!」
突然、脇の民家の門が大きな音を立てて激しく揺れた。
ぺたんと座り込むと、大きな犬が自分に向かって吠えかかってきた。

「バウワウワン! ガウ! ワォン!」

いつの間にか、あの家の前まで来ていた。

突然吠えかかられたあまりの恐怖に、腕が小刻みに震えている。
すぐにでもこの場を逃げ出したい。だが、完全に腰が抜けて、立ち上がることができなかった。

「う、うぅ……。
 そんなに、そんなに吠えないでよ……私……ダメな子なの、わかってる……のに……
 ……それなのに……」

震える手でカバンを抱きしめると、涙がこぼれた。

そのとき、鞄がわずかに震えた気がした。
腕が震えているから、そのせいか、と思ったけれど、犬の吠える声に混じって、着信音が聞こえる気がする。
手は思い通りに動かないが、必死で鞄を開ける。果たして、確かに、ケータイは鳴っていた。

着信画面を見た。ひろちゃんだ。
両手でケータイを握りしめ、ボタンを握りしめた。
『もしもし、雪歩?」
「ひ、ひろちゃぁん……」
『あの、さ。雪歩、今日、元気なかったけど……』
「うう、ぐすっ、ぐすっ」
『え? もしもし、雪歩? どうしたの? 泣いてるの?』
「わた、わたし、やる」
『え?』
「私、変わりたい。ダメな子でいたくない」
『雪歩、だいじょうぶ? なにがあったの? いまどこ?』
「わたし……かわりたいの、ひろちゃぁん……」

雪歩は嗚咽《おえつ》が止まらなくなった。


犬は、ずっと吠え続けていた。

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